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今日は、終戦記念日です。
私の祖父母も戦地に行きました。
祖父母には6人子どもがいますが、祖父母のアルバムは私の母が引き継ぎ、
そして今、私が引き継いで持っています。
母の兄弟は元気なので、普通ならば直系の子が持つとこなのでしょうが、
叔父や叔母から、なぜか私に持っていてほしいと言われ、私の家にあります。
このアルバムの表紙。よく見ると凹凸があって・・・
一番下に・・・・林部隊・・・と。
これは私・・・処分できません・・・・・・。
開くと・・・
獣医だった祖父です。左下に座っています。
写真をデジカメで撮って、パソコンに保存????
色があせても このままが価値があるのだと思います。
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忘れてはいけない辛い戦争。
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私の子供の誰かが受け継いで・・・
子孫に残していってほしい・・・そう思います。
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おはようございます (=⌒▽⌒=)
貴重なアルバムを見せていただき感謝です
私の子供の頃は 父、母から戦時中の体験談は聞けても祖父から聞いたことは有りませんでした
たぶん戦地へ行って戦いを経験したから口に出して話すには重い気持ちだったのでしょう
父、母は熊本に居て空襲の凄さ恐怖などを話してくれました
それを聞きながら戦争を起こしてはいけない戦争は無くさないといけない
そんな風に思い感じました
早ければ今日は盆の送り火
ご先祖様に感謝しながら過ごしたいものです (。-人-。)
夏休みから戻って参りました。
なんとなんと、先生のご本、ようやく入手できましたo(〃^▽^〃)o
すごい勢いで一度通しで読んで、その後はゆっくりじっくり自分の家と照らし合わせながら読んでます。あ、読むだけじゃダメですね。実践しないと(笑)
カバーはあえてつけてもらわず周りの皆様に見えるように電車や飛行機の中で読んでました。ふふ。
日本って街は落ちてるゴミもほとんどないのに、家の中はゴミ屋敷的なお宅がけっこうあったりして、まさに不思議の国です。
セピア色のアルバム。
ぜひ、受け継いでいっていただきたいです。
そして、今回の先生の記事のように、多くの方の目にふれると良いな、と思います。
短くも尊いそれぞれの人生。
平和という環境の中で
謳歌したいものです。
母方の祖父は、末っ子の母が
2歳の時に戦死(年代が合わないので、
戦争の傷が元で、ということかも)し、
父方の祖父も片足の先がない状態で
命からがら戻ってきたと聞きました。
小学校の時に祖父母から戦争体験を
聞く宿題があったのですが、
父も母も、私が祖父母に話しを聞くのを
止めました。
「思い出したくない話だろうから」と。
テレビとかみてると
オリンピック熱も冷めやらぬ感がありますが
今日ばかりは戦争のこと平和のことに
心馳せたいと思いました。
大切なことを思い出させて頂きまして
ありがとうございます。
体験談を伝える高齢者も少なくなってきてますよね。
今までは話すのが嫌だったけど
生きているうちに伝えないといけないと
思うようになったという方もおられるようです。
今日は終戦記念日
平和であるからこそ
片付けのことをあれこれ思うことが出来ると思います。
当たり前と思わずこれからを過ごして行きたいです。
先ほど、NHKをかけたら丁度武道館の式典が始まったところで、一緒に黙祷をしました。
日本にとっては、終戦記念日でも他国にとっては開放記念日なんですよね。複雑な気持ちです。
貴重なアルバムですね。
きっと先生なら、キチンと大切に保管して貰えると思って託されたのでしょうね。
そんな信頼を頂けるって、すごいです。
この戦争に負けて、日本は過去のいろんなものを捨てました。
文化も古くから伝わる思想(自然に対する謙虚さとか)も・・・
アメリカにあこがれ、アメリカのまねをして、アメリカっぽい新しいもののみに価値があるとばかりに。
それはそれで日本の新たな文化になりつつあるのだろうけど
でも、日本古来の思想や文化を、
それが完全に消えてしまわないうちに
誇りとともに残したい、伝えていきたい。そうしないといけない。と思います。
それは各家庭の歴史や、言葉遣いや礼儀は言うに及ばず、色に対する日本的感覚(あけぼの色とか、銀ネズとか、ひおどしとか・・)や、自然との共生や自然を畏怖する心、鑑賞する心・・・などだと思います。
変な例しか思い浮かびませんが、何代にもわたって親から子、孫に大切に伝えられてきたものって確かにあると思います。
捨ててはいけない、伝えなくてはいけないものをあらためて見直したいと思います。
お国のために、命を捨てる事が立派な人間と教育された時代・・・
人殺しを強要した時代・・・
今考えると 恐ろしい時代ですね。
でも 平和なはずの今の時代は 人を死へと追いやってしまうほどのいじめ問題・・・
今、戦争こそしていませんが
ひとりをターゲットに集団でいじめるーーー
いじめないと、自分がいじめられるーーー
まるで 小さな戦争のようです。
そんなことがない時代になって欲しいです。
哀しさとはまた別に、趣のあるアルバム・・絵巻物のようですね。
このところNHKの番組で日本軍の戦争末期の混乱の中で行われた、愕然とする事実が明らかにされ、ただ呆然とするばかりです。
英語がうまい兵隊が、混乱のドサクサで敵に軍の機密を漏らすかもしれないとの危惧から上司が話し合って処刑したり、中野学校の工作員による民間人を巻き込んだ非常な工作活動。そして悲惨なその顛末・・
昭和20年の春頃には、持ち上がっていた戦争終結へ向けた動きが実を結んでいれば、シベリア抑留や中国残留孤児、広島・長崎の原爆・・戦争末期の悲惨な出来事もなかったのでは・・。
番組を観ながら、戦争に対するイメージが今までとは更に違う恐ろしさが広がりました。
子供の頃、祖父の足の貫通銃創をさすりながら、毎年夏休みになると戦争の話を聞いていましたが、朝見ると、枕元の瓶から捕まえたホタルがいつも逃げていたのは、祖父のしわざだったのか・・と気付いたのは恥ずかしながら、ここ最近の事です。
毎年、今日という日は色んな事を考えさせられます。
小学生の私に一度だけ、涙ながらに満州での経験と、兄弟姉妹の被爆を語ってくれた祖母も、今は叔母の介護のもと、子どもに返ってしまっています。祖母自身はたまたま8月9日に用事で長崎を離れていて原爆をまぬがれたそうです。
夫も戦争で亡くし、女手ひとつで子ども三人育てた祖母はモノを捨てられない人でした。トレーや包装紙もきれいに洗ったり畳んだりして再利用していました。
反動で私の父はなんでも捨てる人で、それをいつも「もったいなか…。」と悲しそうに見ていました。
祖母の「もったいない精神」、大事にしたいと思います。
今の日本が、世界の中でも恵まれていることに感謝したいですね。植民地として未だ第3世界だったかもしれません、何もしなければ。敗戦しても、他の植民地とは違う。米国には日本人の気質や精神性のインパクトを与えたこと思います。それは物や家族を大事にする。掃除や物にも気持ちを見いだす姿勢です。安藤さんはある物を利用し、思い入れのある物を大切なさって勉強になります。私の大叔父達も南国で散りました。御祖父さまにも感謝いたします。